鶴川Lo-Fiラジオ放送とサトヤマアートサンポ
和光大学の学生が中心になって運営された
サトヤマアートサンポ2021が、11月23日で11月13日からの都合11日間に渡る会期を終えました。今年は縁あって私も参加したので、自分の関わりについて少し記事を書いておきます。
サトヤマアートサンポは2015年から毎年開催されている、和光大学と地域との繋がりのもとで形作られるアートイベントです。昨年の2020年はコロナ禍ということもありオンラインのみでの開催だったようです。それ以前は川崎市麻生区の各所に広がるサトヤマを舞台に、野外の中で和光大学に関係するアーティストや学生の作品を展示する趣旨のもと、川崎市麻生区と和光大学の共同による企画だったとのことです。今年はコロナの状況が予断を許さぬ中で、麻生区岡上地区の保全林である「梨の木緑地」と和光大学構内、それと1箇所の私有地というかなり活動範囲を制限して、和光大学単独による開催となりました。
また今年は有志の学生の実行委員会による学生主導の運営でした。学生にとっては結構ハードルが高かったようです。それというのも昨年一年間リモートであったため今の2年生はつい数ヶ月前からキャンパスという場所を実際に知ったばかり。つまり1年生とほぼ同じ状況。3年生も昨年の影響で先達からの引き継ぎの機会を逸し、勝手が分からなかったようです。
例えこのような特殊な状況ではなかったとしても、展覧会を企画するというのはかなり専門的な知識と経験を必要とするものです。この事情を加味すれば、実行委員の学生は本当に頑張ったことでしょう。
地域連携のアートイベントというと、誰に向けてのイベントなのか?つまり鑑賞者について考える必要があります。外から地域へというインバウンド的な地域振興であるならば、当然想定される鑑賞者はその地域の外の人に向けたものになります。この場合は、是非はともかくアトラクティブな要素が重要になるでしょうし、マーケティングも必要になります。「特別な」地域であればその特殊性が役立つでしょう。一方で地域内の連携など、地域の内側に向けたイベントであれば地域住民が想定される主な鑑賞者になります。
サトヤマアートサンポは趣旨に「地域とアートの出会い」と書かれていたので、想定されている鑑賞者は地域住民となります。地域住民に来てもらい、連携を強化するとか地域について何かを学ぶ機会を提供するとか、そういった功利主義的な考え方=何か役立つことをする、というのが目的化しそうです。しかし、芸術という視点に立つと事態は少々複雑です。功利主義的観点は一面的過ぎると言えます。否、もう少々事態は深刻で、実際は浅はかで紋切り的な発想に引っ張られてしまうと言っても過言ではありません。本来芸術の探求的な要求を満たすならば、地域住民を刺激し知的好奇心や議論を活性化させることになります。しかし昨今の日本を覆う傾向は、そのような刺激を望んではいません。低い知性でも納得する程度のじつに功利的効果以外は、鑑賞者は受け付けないと言ったところです。この問題は近年顕著化してきたもので、本来自由な議論の場となるべき芸術の展覧会が侵食されているという文化的な由々しき問題です。そこでは地域住民向けとかインバウンド指向とかは関係ありません。さらに言えば全国の美術館博物館も晒されている問題であり、同じく日本の芸術全般が晒されている問題でもあります。ですので、ここではこれ以上その問題とサトヤマアートサンポを関連づけて考えるのはやめておきましょう。とは言え「地域とアートの出会い」を具体化させるにはこう言った議論を経由して立案する必要があり、正直な感想としては学生の手には余るもののように思えます。一方でそういった難題に挑戦することは教育的にとても良いことかもしれません。
わたし自身はサトヤマアートサンポへの参加を打診された時に、このようなことをつらつらと考えていたわけです。
さて、わたし自身としてはどのような作品を提供すべきか?そもそも自分が扱ってきた主題は局所性よりも一般性の方に趣きがあるので、「地域とアートの出会い」にあまり関連がないようにも思えたのです。今までのスタンスで作品を提供すべきかどうか?から考え始めました。結論は至って単純で、作品は展示しないというものです。代わりに「地域とアートの出会い」に協力しようという意図のもと、何らかの仕組みを提供することでした。イベントの期間中だけではなく継続的に機能するような仕組みです。そう、敢えて功利的な仕組みを構築することを考えました。それが極小規模の地域FMです。電波は乱れやすく、電波は届く範囲も狭いのでとても非効率的ですけれども。
以下がチラシ用に書いた説明です。
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鶴川Lo-Fiラジオ電波放送
鶴川Lo-Fiラジオ電波放送は鶴川周辺にて仕事をしているボランティアスタッフにて運営されています。試験放送を始めたばかりの極小規模FM放送局です。
放送範囲はその都度任意の地点より周辺10m程度。周波数はFM周波数帯域のどこか。現在、ローファイ第一とローファイ第二の2局にて不定期放送を準備中。
話題の時事情報、好事家トーク、マル秘情報、怪しい話、マニアックなアートや音楽トークなどの番組を予定しています。
サトヤマアートサンポ期間中はローファイ第一で特集番組「サトヤマアートサンポ・非公式ガイド」を放送予定。ローファイ第二の放送内容は未定。
鶴川Lo-Fiラジオ電波放送では番組制作に関わっていただけるボランティアスタッフを募集しています。またご支援いただける市民ファウンダーの募集を予定しています。市民ファウンダーは番組内での紹介や特別企画への参加など、様々なイベントへご参加いただけるよう準備を進めています。
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10mしか届かないとか手作りのFM発振回路ということには、じつは意味がありません。見た目がレトロフューチャー風というのも意味がありません。これらは別の機会に別の用途で使おうか、という個人的な意図でそうしたのです。実際には電波法に触れない程度であれば何メートル電波が届こうが、また市販のFMトランスミッターを使おうが構わないわけです。
ラジオは少し番組を聞いていないと、今自分が聞いている放送がどこかをはっきりとは把握できません。TVやポッドキャストのように素早く自分の聞きたい番組にアクセスすることができないので、聞き手は少々能動的な準備が必要なメディアです。また設備をきちんと組んでおけば人知れず秘密の放送を流しておくことも可能です。放送が終了したあとにはインターネット上にアーカイブとして公開することもできるので、放送とアーカイブの時間差を活用することもできます。またアーカイブはイベントの会期とは無関係に運営できるため、継続的にコンテンツの蓄積が可能です。翌年や翌々年に引き継がれるであろうサトヤマアートサンポのような継続企画や、将来の別の企画にこのコンテンツが役立つ時が来るかも知れません。
他方別の視点から考えるならば、各ラジオ番組はその番組のパーソナリティたちによって内容が形作られます。わたし自身が全てのコンテンツを作る必要もなく、パーソナリティになる人々にお願いして話題の内容などを決めていただき、語ってもらうことが可能です。今回は大学関係者や学生、そして地域の方々に語ってもらってそれぞれの番組を収録しました。このような当事者たちによるコンテンツ制作は、サトヤマアートサンポで想定されている鑑賞者である地域住民に対して、地域について何かを学ぶ機会を提供することに大いに役立つことでしょう。さらに大学は多くの知恵が集まっているところなので、大学教諭によるコンテンツは、その点でかなり有効だと言えます。もし、より創造的なことをしたければ問題喚起をするような虚実を入り交えたコンテンツを作成することもできます。
今挙げたところの可能性は全て運営次第です。わたしは立ち上げとなる仕組みを構築するだけにとどまり、どなたか複数の有志により今後継続的に運営されれば、もしかしたら面白い状況が生まれるかも知れないと期待しつつ鶴川Lo-Fiラジオ放送を行うに至ったという訳です。
ところで実際のサトヤマアートサンポ2021の事情はどうであったのかというと、上記の想定される鑑賞者自体が予想とは異なるものでした。コロナ感染症予防対策の影響によるものです。学外の鑑賞者は1日5名までの事前予約という対応が大学側から示されました。状況が状況なので至って仕方のない指針です。この対応を要求する学校を批判することはできません。
一方で、示された対応を一般の方々がどのように受け止めるかを考えると、拒絶的なメッセージとして伝わることでしょう。一般鑑賞者を歓迎しない、というメッセージが発せられていると部外者は受け止めるに違いありません。この時点で主な鑑賞者は、学生または大学関係者に限った形になります。ちなみに入校制限も実施されている中での開催なので、登校している学生や職員の人数そのものが少ない状況です。つまりたまたまその時に登校する用事がある学生または大学関係者に限った人々を鑑賞者として想定せざるを得ない訳です。仕方がないとは言え、これでは運営する学生や作品を展示した学生にとっては気の毒としか言いようがありません。
このような状況の下では、アートイベントの正しい運営を学生に要求することは理不尽なことです。それはつまりせっかくの運営という経験の機会を逸しているという状況であり、展示した学生も作品を公開するということの正しい環境を経験する機会を逸している状況です。サトヤマアートサンポという極めて個別の話ではありますが、あまり問題視されない大学生の深刻なコロナ禍の影響を実感します。
今年は正しい運営ができなく残念であっても、折角なので来年この経験を活かせる何か積み上げ型の仕組みが欲しいところです。その意味でもコンテンツ制作、番組放送、アーカイブと継続できるラジオ放送局のアイディアをどなたかに継承して欲しく、この長ったらし記事を書いた次第です。